雑俳の風景―6

溝口 浩

敗戦忌婦女子ら眠る留萌沖

 

昭和20年8月22日、日本はすでに軍隊への停戦命令布告をしていました。

この時留萌沖の海上で樺太から小樽へ向かう婦女子を主体とする引揚者を乗せた日本の引揚船小笠原丸、第二号新興丸、泰東丸がソ連軍によるものと見られる国籍不明の潜水艦からの攻撃を受け、小笠原丸と泰東丸が沈没して1,708名以上が犠牲となりました。留萌沖三船殉難事件です。

そのなかで約780人を乗せて大泊から小樽に向かっていた泰東丸が、留萌沖で、浮上した潜水艦の砲撃を受けました。 一発被弾すると、泰東丸の船員たちは白いシーツを掲げ、潜水艦から見えるように大きく振ります。「降伏」を意味する白旗でした。ところが潜水艦は、これを全く無視して砲撃を続けました。 やがて泰東丸は10数発を被弾して、船体が大きく傾き、船内は血まみれの死体や重傷者が折り重なりました。重傷を負っていない者は海に飛び込み、脱出を図りますが潜水艦からの機銃掃射でゲームを楽しむように殺されてゆきます。やがて泰東丸は左舷を下に海中に没しました。667名が死亡したとされます。

この事件は日本人のほとんどが知りません。しかし1708人もの日本人が一方的に「殺戮」された事実は、日本人として知っておかなければならない事実です。

 

留萌市の千望台には「樺太引揚三船殉難者慰霊碑」が立てられています

…つづく