敗戦前後の記憶-24

溝口 浩

 

焼け跡と闇市の東京-5

 

田園調布の一つ先の駅にあった多摩川園へ行くことは最大の楽しみだった。ここは、ちょっとした遊園地だが何も無いといえば何も無い所で、広場に壊れた飛行機が横たわっているのが最大の売り物、これによじ登ったり運転席に潜り込んだりするのが楽しいだけだったが、飽きずにこれを繰り返していた。大人の楽しみは芝居小屋で、時代劇と現代劇の二本立て、さっき島田に結っていたお姉さんがパーマにブラウスで出てくるのがおかしかった。他にビックリハウスなるものがあって、小部屋に入ると、壁や天井が回転して自分が回転しているような錯覚に陥る仕掛け。何回も経験していれば面白くも無くなるのだけれど、他に何も無いから義務みたいにこの小部屋に入っていた。ひとしきり遊んだあとで多摩川の河原に行って、水面を眺めながらの握り飯が一番だったのかもしれない。

 

学校は碑小学校、いしぶみと読む、明治12年創立というから今年で140年の歴史を誇る。しかし考えてみると70年前には私が在籍していたのだから明治12年といってもその70年前で、そんなものかと案外身近に感じるから不思議である。

学校は日蓮宗の円融寺に隣接しているので寺の境内で授業を受けるのもしばしばだった。円融寺は853年創建の名刹で室町時代建立の釈迦堂は国の重要文化財に指定されている。担任は一年生で松田先生、二年になると刑部先生となり刑部先生にはたいそうかわいがってもらった。

…つづく