敗戦前後の記憶-23

溝口 浩

 

焼け跡と闇市の東京-4

 

学校の先生が我々生徒に向かってこんなことを言っていた、「シャツなどはお母さんに煮てもらいなさい、そうすればシラミは死にます」、頭髪と衣服に付くシラミは別の種類だと聞いたがほとんどの人がシラミを体に飼っていた。シラミだけではなくて蚤にもずいぶん悩まされた。ここでDDTの散布が始まる。DDTは強い味方の殺虫剤で保険所からときどき係員がやってきて、頭から背中、パンツの中まで吹き込まれて真っ白になっていた。確かに蚤やシラミを撲滅するには効果があったから歓迎して受けた。ところがその後しばらくしてから禁止薬物に指定されたが今のところ後遺症はまだ現れていない。

敗戦と共に今まで使っていた国定教科書、日本全国一律にこの教科書は使われていたが、敗戦後は当然のことに使われなくなって、先生が藁の茎がそのまま見えるような粗悪な紙、まさにわら半紙にガリ版で刷られた教科書が、一枚二枚と配られて授業を受けていたが、ある日突然に今までの国定教科書を全部持って来いと言われてその通りにした。何日かして返されてきた教科書を開くと、文章のほとんどが墨で塗りつぶされていた。二学期の教科書に「お兄さんの写真」というのがあって、戦地へ赴いている兄さんを偲ぶ内容だが、これもほとんどが塗りつぶされていて兵隊という字が少しあるだけで消してしまう先生達の神経過敏さに驚いた。

…つづく