敗戦前後の記憶-22

溝口 浩

 

焼け跡と闇市の東京-3

 

碑文谷の家の庭には、父が山梨から持ち込んだぶどう酒が満杯の十八㍑入りの甕で十二個並んでいた。父はこれを楽しみにしたお客さんが来ると自慢げに振舞うのだが、甕の口が小さいものだから、ゴムチューブで吸い出してビンに入れるのがなかなかうまくゆかずに、何回も吸ううちに父が真っ先に酔ってしまうというお笑いの場面もあった。この甕がある晩に盗まれた。それも端ではなく真ん中に置いてある甕がすっぽりと消えていた。こんな重いものをどうやって?としばらく話題になった。我々の為に山梨から持ってきたものは干しぶどうだった。干しぶどうとは云ってもぶどう酒を絞った滓を乾燥させた物だからぱさぱさするだけで甘さなどは薬ほどもなかったが、口に入るものならば何でも嬉しい時代だった。

家の路地を出たところに立会川がちょろちょろと流れており、えびがにが沢山棲んでいて、これを獲るのが遊びの主流だった。この川は碑文谷池から流れ出て西小山を通り、大井町に出てから東京湾に注ぐ川だが、碑文谷の辺りは今では暗渠になっていて桜並木で名高い。川で遊んだ後は園融寺のそばの風呂屋に行ったが、燃料不足の時代だから毎日開店というわけでもなくて、煙突の煙を確かめてからでないと休みの日も多かった。園融寺の風呂屋が休みの日は、こちらも煙突の煙を確かめた後に、第一師範、今の学芸大学、のそばの風呂屋まで畑の道を父と並んで辿りながら、太陽や星の話などを聞くのが楽しみだった。

…つづく