敗戦前後の記憶-20

溝口 浩

 

焼け跡と闇市の東京-1

 

目黒区碑文谷一丁目の辺りは幸いにも空襲を免れていて、家から三分の距離に国の重要文化財の釈迦堂で有名な園融寺や、碑文谷八幡宮などが戦前のままの姿で残っていたが、ちょっと西小山駅に近くなると焼け野原が続いていた。一つ目黒駅寄りの武蔵小山駅には闇市が立っていてかなりのものが買えたようだが、子供としてはやはり飴が魅力で、真っ黒な芋飴を買いに通った、一つ一円だった。ある日、「本物の飴だよ」という呼び声に覗いてみると、確かにそれらしく白い飴が並んでいる「それ一ついくら?」と聞くと一円と云うので十個買った。意気揚々と帰ってきて母に「本物の飴を買ってきたよ」と云うと、母は一つ口に入れてから「本物の飴だねえ」とうなずいた。すごく幸せな気分だった。闇市というのは別名青空市場とも言われたように、焼け跡に集まってきた人たちが道端でりんご箱などの上に、どこかで仕入れてきた物を並べている市場で、品物は雑多で粗悪品が多かったが、物の無い時代だからどんな物でも売れた。昭和二十二年頃までは食料はもとより衣料なども配給制だったが、基本的に絶対量が不足していて配給以外のルート、すなわち闇で買わないと生きて行けなかった。新宿、新橋や各地の焼け跡を不法占拠した人達が、工場に残っていた品物を持ってきたり、家にある中古の家庭用品を並べたり、農家から仕入れた芋などをを持ち込んだりして闇市は成り立っていたが、時には警察の手入れがあったりして、その時にはさっと店仕舞いをして、警察が去ると再び店開きのいたちごっこが常だった。いずれにしても一般の人たちにとっては不可欠な場所だった。

…つづく