敗戦前後の記憶-16

溝口 浩

敗戦の日-1

 

甲府は七月六日の空襲で焼け野原になったけれど、このあたりは戦争の影も見えずに、桃がいつでも食べられるまさに桃源郷で、食糧事情も良くはないといっても田舎のことで米は少なくても大豆を足して炊いたりしていた。米は玄米なので一升瓶にいれてハタキの柄で搗いたりして七分搗き位にするのは僕の仕事だった。大豆はそのままご飯に炊き込んでも硬いので、一つ一つ金槌でつぶしたが、これも僕の仕事のひとつだった。ついでに言えば妹のオムツの取替えも仕事のうちで、後に子供たちや孫の扱いにも役に立つ。運の良いことに季節も夏の盛り、母に連れられて行く谷川での水浴びは、母と子供たち四人だけのふざけあいで、大家からのもらい湯に比べれば数段の楽しさだった。このあたりの風景は桃の林の間に桑畑が点在していて、この時期は桑の実の紫をおびた黒が食欲を誘った。桃は勝手には採れないけれど、桑の実は自由に食べてもよかったから、唇を紫色に染めて貴重な甘味を楽しんでいた。

八月十五日は朝からの快晴だった。お昼前に大家の庭先に近隣の住人が集まってきてラジオを聴いていたが、なにが起こったのかわからなかった。母が戦争に負けたと教えてくれながらも暗い雰囲気は全く無くて、東京に帰れるよとニコリと笑った。それから何日かして東京に向かう汽車を見ながら「近いうちに新宿まで電車が走るんだよ、そうなったら池部に行こうね、伯母さん驚くよ」と嬉しそうに話していたが、池部は母の姉で新宿から小田急ですぐの経堂に住んでいた。

…つづく