敗戦前後の記憶-14

溝口 浩

戦時の旅-3

 

その後は名古屋経由で甲府に着いたのだが、これ以外のことは大分港の船のデッキで、母が見送りに来た人に菓子折りのお礼を言っていた事を除けば、船中の事や車中の事などの、何一つとして記憶に残っていることは無い。 実を言うとこの先の経路があやふやなのだが、とりあえず落ち着いたといえば嬉しいけれど、全然落ち着かなかったは居候の身の上、この辺は母に聞いても思い出したくないのか定かではなくて、僕の記憶だけをたよりにすれば、父の従兄の工藤信夫さんの疎開先に転がり込んだ。ここは山梨県のとりさわなるところで、吊り橋を渡ってたどり着く本当の山の中、村の真ん中を小さな川が流れていて、そこで日常生活の全てが執り行なわれる。先ずは米とか野菜とかの洗い場、それから洗濯と、上流から下流へと洗い場が決まっているようだが必ずしもそうではなくて、野菜を洗っているすぐ傍でおしめを洗っていたりして、それでも水だけは冷たくてきれいだった。その水を生で飲んだか? それは記憶に無い。

工藤家が借りていた部屋の繋がりの部屋に居を据えたが、布団などは工藤からの借り物だったようで、要するに家財道具を東京から持ってくる時間が無かった故の仮住まいの趣、その借り物の布団にあろうことか僕が寝小便をして、工藤の伯母さんが「一年生にもなっておねしょをして」と干した布団をみながらチラリと眼をむけてきた。そんなことにはあまり気にはしなかったが娘の悌子ちゃんの「おねしょしたの?」と云う表情にはチクリと胸がうずいた。

…つづく