敗戦前後の記憶-11

溝口 浩

疎開-6

 

そんなある日に二人で遊んでいると、帰宅途中の先生が通りかかり、大きな夕日を指差して「あれは何?」とたずねられた。彼は「お月さま」と答え僕は「たいよう」と答えたら先生が「そうよ太陽よねぇ~」といってから彼に「あれはお日様なのよ」と言ってから帰っていった。去って行く先生を見送っているうちに彼はしくしく泣き出したが、そのわけもわからず夕食を告げる母の声に家に入った。しばらくすると、突然「朝鮮人、朝鮮人と馬鹿にするな」と彼の父親のおおきな声が聞こえた。母は「何を云ってるんだろう」と不思議がっていたが、僕は何が原因かはおおよその合点はいっていた。しかし、強い人種差別の中で自由を奪われ、積み重なった鬱憤から、息子がいじめられたと思い込みながらのくやしさ、もどかしさ、そんなことを多少なりとも感じられるようになるまでには、その後何十年かの歳月が必要だった。

…つづく