敗戦前後の記憶-6

溝口 浩

 

疎開-1

十九年の暮れに、お爺ちゃんからもらった大分市新川の父の持ち家に疎開したが、当初は東京に比べればのんきなもので、防火訓練などはまったくなしの平和な世界だった。ある日のこと、母に連れられて、坂東妻三郎主演の無法松の一生を観に行ったが、着物を着て出かけた母が街角で、巡査に「外出にはもんぺをはく」と注意されて、「怒られちゃった」と照れ笑いをしていた。ちなみに「もんぺ」とは女性用の作業用ズボンのようなもので、ゆったりとした胴回りに、着物の裾や上着を中に入れることが出来て、足首の部分は絞ってあり、着物を着るのが普通の時代に、活動的に動くには便利なものだったが、後にはこれをはいていない女性は周囲から「非国民」、と白い目で見られた。

そんな大分も飛行場が空襲を受けてから急に慌しくなって、豊後水道に侵入した空母から飛来した艦載機に襲われた。さすがに屋根だけは付いている庭の防空壕に駆け込んだが、カタカタカタカタとすさまじい機銃掃射の音を頭上に何度も浴びせられて、思わず「南無妙法蓮華経・・・」とお題目を唱え後で母に笑われた。

…つづく