敗戦前後の記憶-3

溝口 浩

空襲警報発令-3

 

小田急線の経堂駅から数分のところが我が家だった。今の経堂からは考えられもしないが、家のまわりには里芋畑が広がっていて、新しい貸家が数件並んでいるという田園風景、兵隊さんが訓練にやってくることもあった。里芋の収穫時期にはずいき(芋の茎)が放置されていて、これはタダでもらえたから、母が指を真っ黒にして皮をむき、煮付けにしていた。庭に井戸があったが水深が浅いものだから水質は悪くて、時にはみみずが出てくることもあったから、水の出口にはガーゼの袋が被せてあった。もちろん生水はご法度で麦茶を沸かして飲んでいた。大分から親戚の宮崎精一さんが訪ねて来た時に写真を撮ってくれた。近所の同年のカヨちゃんとの人生初のツーショットは後日に細長くカットされて送られてきたが、門前の畑の肥え溜めが二人の右側に写っているのを切り取ったのは明らかだった。肥溜めとは畑の肥料にする為に人糞を溜めておく場所で、ここでは藁で囲って屋根までついていた。

…つづく