敗戦前後の記憶-1

溝口 浩

 

70歳代もあと20日ばかりとなりました。70年以上の時空を飛び戻って敗戦前後の記憶を辿ってみましょう。暗い時代でしたが案外気楽に暮らしていたようですよ。幼少のみぎりですからね。

 

空襲警報発令―1

幼稚園から帰ってくると、母が空襲警報が鳴ったからはやく防空壕に入れと言う。初めてのことで何がなんだか分からなかったが、もんぺにズック履きという勇ましいいでたちで、防空壕のふちに片足を掛けて、キッと空を見上げている母の凛々しい姿を見て、何か大変なことが起こりそうだと防空壕に駆け込んだ。 何事が起こるのかとみていると、空の一角に現れた敵国アメリカの爆撃機B29が、悠々と上空を通り過ぎてゆき、高射砲陣地から打ち上げられた砲弾が、標的の高度まで届かずに、敵機のすぐ下を放物線を描いて次々と落ちてゆく。敵機はと言えば、高射砲など歯牙にもかけない風情で悠々と彼方へ去って行った。しばらくして日本の戦闘機が何機か飛来して、狂ったように旋回し始めたので、今まで何してたの?という思いが強く、子供心にもはがゆい思いをした。十九年七月にサイパン島が陥落すると、重爆撃機B29が、直接日本本土と往復出来る様になって、この時が偵察のための飛来だったが、高度一万メートルを飛んでいたから、高射砲など届くはずもなかったのだ。このあと次第に高度を下げて編隊で飛来するようになり、本格的な東京への空襲が始まった。

…つづく