「さんぽ道」の記事一覧(2 / 11ページ目)

敗戦前後の記憶-24

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敗戦前後の記憶-24 溝口 浩   焼け跡と闇市の東京-5   田園調布の一つ先の駅にあった多摩川園へ行くことは最大の楽しみだった。ここは、ちょっとした遊園地だが何も無いといえば何も無い所で、広場に壊・・・

敗戦前後の記憶-23

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敗戦前後の記憶-23 溝口 浩   焼け跡と闇市の東京-4   学校の先生が我々生徒に向かってこんなことを言っていた、「シャツなどはお母さんに煮てもらいなさい、そうすればシラミは死にます」、頭髪と衣服・・・

敗戦前後の記憶-22

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敗戦前後の記憶-22 溝口 浩   焼け跡と闇市の東京-3   碑文谷の家の庭には、父が山梨から持ち込んだぶどう酒が満杯の十八㍑入りの甕で十二個並んでいた。父はこれを楽しみにしたお客さんが来ると自慢げ・・・

敗戦前後の記憶-21

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敗戦前後の記憶-21 溝口 浩   焼け跡と闇市の東京-2   配給品の対象となっているのは統制品といわれて、特に米は米穀通帳なるものがあってこれが無ければ米は買えなかった。後に米も自由に買えるように・・・

敗戦前後の記憶-20

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敗戦前後の記憶-20 溝口 浩   焼け跡と闇市の東京-1   目黒区碑文谷一丁目の辺りは幸いにも空襲を免れていて、家から三分の距離に国の重要文化財の釈迦堂で有名な園融寺や、碑文谷八幡宮などが戦前のま・・・

敗戦前後の記憶-19

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敗戦前後の記憶-19 溝口 浩   敗戦の日-4   九月の新学期とともに村の小学校に通い始めた。五月いっぱいで大分の小学校を退いてから3か月、その間勉強していたのかどうか記憶に無いが九月からの授業に・・・

敗戦前後の記憶-18

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敗戦前後の記憶-18 溝口 浩   敗戦の日-3   敗戦の日の前後のある日、ひだり手の薬指の痛さに耐えかねて、隣室に住まっていた小関さんのおじさんが自転車で、甲府から疎開しているという外科医に連れて・・・

敗戦前後の記憶-17

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敗戦前後の記憶-17 溝口 浩 敗戦の日-2   敗戦とともに世間が変わってきた。食料増産の指令が出て桑の木は引き抜かれて畑に変わったが、桑の木は根が張っているものだから、ジャッキのチエーンに桑の木の根を絡ませ・・・

敗戦前後の記憶-16

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敗戦前後の記憶-16 溝口 浩 敗戦の日-1   甲府は七月六日の空襲で焼け野原になったけれど、このあたりは戦争の影も見えずに、桃がいつでも食べられるまさに桃源郷で、食糧事情も良くはないといっても田舎のことで米・・・

敗戦前後の記憶-15

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敗戦前後の記憶-15 溝口 浩 戦時の旅-4   工藤家には高学年のお姉さんと僕の二歳下の梯子ちゃんがいて、後年彼女の勉強の手伝いをしたりディズニーの「ワンワン物語り」を観に行ったりもしたが、当時はただ生意気な・・・

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