「さんぽ道」の記事一覧(2 / 12ページ目)

雑俳の風景―6

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雑俳の風景―6 溝口 浩 敗戦忌婦女子ら眠る留萌沖   昭和20年8月22日、日本はすでに軍隊への停戦命令布告をしていました。 この時留萌沖の海上で樺太から小樽へ向かう婦女子を主体とする引揚者を乗せた日本の引揚・・・

雑俳の風景―5

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雑俳の風景―5 溝口 浩 火山灰埃払ひ媼の枇杷啜る   桜島は枇杷の名産地です。小粒ですが果汁のしたたる熟れた枇杷は実に美味い。桜島の枇杷は長崎から移植されたものと聞いていますが、南国の太陽と溶岩台地の環境が小・・・

雑俳の風景―4

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雑俳の風景―4 溝口 浩 割り箸の吉野杉の香冷奴   下関に本拠を置く俳句同人「其桃」二十九年二月号の現代俳句鑑賞の中で   吉村保亮さんにこの句を取り上げていただきました。氏のコメント、 和料理の香りは洋料理・・・

雑俳の風景―3

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雑俳の風景―3 溝口 浩 卓袱台の距離に妻をり新茶汲む   「ご夫妻は円満ですか」と問われれば「円満です」と答えますが奥方がなんと答えるかはわからない。こんなことは別に不思議なことでもないとは思うけれども、それ・・・

雑俳の風景―2

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雑俳の風景―2 溝口 浩 蜩やレジ袋さげ妻の後   奥方のお供で買い物にでかけ両手にレジ袋でようやく我が家の門前に。ここで初蜩が鳴くのです。おやおや蜩、と聞きほれていると玄関先から奥方の声、おとうさん何してるの・・・

雑俳の風景-1

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雑俳の風景-1 溝口 浩   俳句を齧り始めて十年目です。勉強しているといえば体裁はいいのですが、実態はただひねくり回しているだけかもしれません。 ...と私らしくもなくへりくだってみましたが、まがりなりにも十・・・

敗戦前後の記憶-27

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敗戦前後の記憶-27 溝口 浩 焼け跡と闇市の東京-8   南山小学校は碑小学校より更に3年早い明治9年の創立、麻布十番と六本木の間の丘の上にある。先生は2年生の3学期だけ松江先生、3年と4年生が荒井先生、5,・・・

敗戦前後の記憶-26

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敗戦前後の記憶-26 溝口 浩 焼け跡と闇市の東京-7 二十一年の暮れに麻布十番の近くに転居した。これは後に芝三田功運町に家を建てるための仮住まいだったが、ここで転入した南山小学校には卒業まで通い続けることになる。仮住ま・・・

敗戦前後の記憶-25

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敗戦前後の記憶-25 溝口 浩   焼け跡と闇市の東京-6   刑部先生は隣の円融寺の境内に子供たちを連れ出して釈迦堂の縁に座らせ、いろんな話をしてくれた。   昔の話だがね、なんの苦しみも・・・

敗戦前後の記憶-24

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敗戦前後の記憶-24 溝口 浩   焼け跡と闇市の東京-5   田園調布の一つ先の駅にあった多摩川園へ行くことは最大の楽しみだった。ここは、ちょっとした遊園地だが何も無いといえば何も無い所で、広場に壊・・・

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