「さんぽ道」の記事一覧

敗戦前後の記憶-12

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敗戦前後の記憶-12 溝口 浩 戦時の旅-1   六月の終わりに父が突然やってきた。少しでも家族を近くに置きたいという思いで、会社が疎開している山梨に行くんだそうだ。その時はわけもわからずについていったが、激し・・・

敗戦前後の記憶-11

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敗戦前後の記憶-11 溝口 浩 疎開-6   そんなある日に二人で遊んでいると、帰宅途中の先生が通りかかり、大きな夕日を指差して「あれは何?」とたずねられた。彼は「お月さま」と答え僕は「たいよう」と答えたら先生・・・

敗戦前後の記憶-10

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敗戦前後の記憶-10 溝口 浩 疎開-5   七月十三日の深夜、あたりの騒々しさに眼を覚まして母の指差す方を見ると、大分市の上空が真っ赤に燃え上がっていて、大八車に家財道具を満載した人たちが黙々と通り過ぎていっ・・・

敗戦前後の記憶-9

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敗戦前後の記憶-9 溝口 浩 疎開-4 どこの土地でも新しく来た子はだいたいがいじめられるものだが、「下駄を履いて学校に行くといじめられるよ」と教えてくれる子がいて、同級の子が編んだ藁草履を五十銭で買って、履いて行ったの・・・

敗戦前後の記憶-8

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敗戦前後の記憶-8 溝口 浩 疎開-3 大分市にも近々大空襲があるとの噂が飛んで、更に田舎のわさだ村に移り、農家の一部屋を借りて六月には妹の美佐子が生まれ、私も一年生になっていた。このころ東京に残っていた伯母は、母のお産・・・

敗戦前後の記憶-7

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敗戦前後の記憶-7 溝口 浩 疎開-2 三月十日の東京大空襲を伝える伯母からの手紙は葉書で来た。父とともに東京に残った伯母からの手紙には、当日は寒さで水道が凍りつき消火が出来なかったと、当たり障りの無い話に終始していたが・・・

敗戦前後の記憶-6

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敗戦前後の記憶-6 溝口 浩   疎開-1 十九年の暮れに、お爺ちゃんからもらった大分市新川の父の持ち家に疎開したが、当初は東京に比べればのんきなもので、防火訓練などはまったくなしの平和な世界だった。ある日のこ・・・

敗戦前後の記憶-5

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敗戦前後の記憶-5 溝口 浩 空襲警報発令-5     何時の頃からか、三月に東京に大空襲があるという噂がひろまって、それが原因だか知らないけれど、父母の故里大分に疎開することになった。疎開というのは・・・

敗戦前後の記憶-4

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敗戦前後の記憶-4 溝口 浩 空襲警報発令-4 従兄弟の池部雅文さんが出征して、盛大な壮行会が開かれたころから、都心への空襲が日常茶飯事となり、経堂から赤堤経由新宿方向の空の一部が、暗闇の中に真っ赤に染まる夜が多くなつて・・・

敗戦前後の記憶-3

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敗戦前後の記憶-3 溝口 浩 空襲警報発令-3   小田急線の経堂駅から数分のところが我が家だった。今の経堂からは考えられもしないが、家のまわりには里芋畑が広がっていて、新しい貸家が数件並んでいるという田園風景・・・

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