「さんぽ道」の記事一覧

敗戦前後の記憶-22

さんぽ道

敗戦前後の記憶-22 溝口 浩   焼け跡と闇市の東京-3   碑文谷の家の庭には、父が山梨から持ち込んだぶどう酒が満杯の十八㍑入りの甕で十二個並んでいた。父はこれを楽しみにしたお客さんが来ると自慢げ・・・

敗戦前後の記憶-21

さんぽ道

敗戦前後の記憶-21 溝口 浩   焼け跡と闇市の東京-2   配給品の対象となっているのは統制品といわれて、特に米は米穀通帳なるものがあってこれが無ければ米は買えなかった。後に米も自由に買えるように・・・

敗戦前後の記憶-20

さんぽ道

敗戦前後の記憶-20 溝口 浩   焼け跡と闇市の東京-1   目黒区碑文谷一丁目の辺りは幸いにも空襲を免れていて、家から三分の距離に国の重要文化財の釈迦堂で有名な園融寺や、碑文谷八幡宮などが戦前のま・・・

敗戦前後の記憶-19

さんぽ道

敗戦前後の記憶-19 溝口 浩   敗戦の日-4   九月の新学期とともに村の小学校に通い始めた。五月いっぱいで大分の小学校を退いてから3か月、その間勉強していたのかどうか記憶に無いが九月からの授業に・・・

敗戦前後の記憶-18

さんぽ道

敗戦前後の記憶-18 溝口 浩   敗戦の日-3   敗戦の日の前後のある日、ひだり手の薬指の痛さに耐えかねて、隣室に住まっていた小関さんのおじさんが自転車で、甲府から疎開しているという外科医に連れて・・・

敗戦前後の記憶-17

さんぽ道

敗戦前後の記憶-17 溝口 浩 敗戦の日-2   敗戦とともに世間が変わってきた。食料増産の指令が出て桑の木は引き抜かれて畑に変わったが、桑の木は根が張っているものだから、ジャッキのチエーンに桑の木の根を絡ませ・・・

敗戦前後の記憶-16

さんぽ道

敗戦前後の記憶-16 溝口 浩 敗戦の日-1   甲府は七月六日の空襲で焼け野原になったけれど、このあたりは戦争の影も見えずに、桃がいつでも食べられるまさに桃源郷で、食糧事情も良くはないといっても田舎のことで米・・・

敗戦前後の記憶-15

さんぽ道

敗戦前後の記憶-15 溝口 浩 戦時の旅-4   工藤家には高学年のお姉さんと僕の二歳下の梯子ちゃんがいて、後年彼女の勉強の手伝いをしたりディズニーの「ワンワン物語り」を観に行ったりもしたが、当時はただ生意気な・・・

敗戦前後の記憶-14

さんぽ道

敗戦前後の記憶-14 溝口 浩 戦時の旅-3   その後は名古屋経由で甲府に着いたのだが、これ以外のことは大分港の船のデッキで、母が見送りに来た人に菓子折りのお礼を言っていた事を除けば、船中の事や車中の事などの・・・

敗戦前後の記憶-13

さんぽ道

敗戦前後の記憶-13 溝口 浩 戦時の旅-2   閑話休題、何時間も待ってやっとやってきた汽車は超満員で、僕と弟は窓から投げ込まれたが、中にいる人たちも慣れたもので、ちゃんと受け取ってくれて、立錐の余地も無い所・・・

ページの先頭へ