「さんぽ道」の記事一覧

雑俳の風景―3

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雑俳の風景―3 溝口 浩 卓袱台の距離に妻をり新茶汲む   「ご夫妻は円満ですか」と問われれば「円満です」と答えますが奥方がなんと答えるかはわからない。こんなことは別に不思議なことでもないとは思うけれども、それ・・・

雑俳の風景―2

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雑俳の風景―2 溝口 浩 蜩やレジ袋さげ妻の後   奥方のお供で買い物にでかけ両手にレジ袋でようやく我が家の門前に。ここで初蜩が鳴くのです。おやおや蜩、と聞きほれていると玄関先から奥方の声、おとうさん何してるの・・・

雑俳の風景-1

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雑俳の風景-1 溝口 浩   俳句を齧り始めて十年目です。勉強しているといえば体裁はいいのですが、実態はただひねくり回しているだけかもしれません。 ...と私らしくもなくへりくだってみましたが、まがりなりにも十・・・

敗戦前後の記憶-27

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敗戦前後の記憶-27 溝口 浩 焼け跡と闇市の東京-8   南山小学校は碑小学校より更に3年早い明治9年の創立、麻布十番と六本木の間の丘の上にある。先生は2年生の3学期だけ松江先生、3年と4年生が荒井先生、5,・・・

敗戦前後の記憶-26

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敗戦前後の記憶-26 溝口 浩 焼け跡と闇市の東京-7 二十一年の暮れに麻布十番の近くに転居した。これは後に芝三田功運町に家を建てるための仮住まいだったが、ここで転入した南山小学校には卒業まで通い続けることになる。仮住ま・・・

敗戦前後の記憶-25

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敗戦前後の記憶-25 溝口 浩   焼け跡と闇市の東京-6   刑部先生は隣の円融寺の境内に子供たちを連れ出して釈迦堂の縁に座らせ、いろんな話をしてくれた。   昔の話だがね、なんの苦しみも・・・

敗戦前後の記憶-24

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敗戦前後の記憶-24 溝口 浩   焼け跡と闇市の東京-5   田園調布の一つ先の駅にあった多摩川園へ行くことは最大の楽しみだった。ここは、ちょっとした遊園地だが何も無いといえば何も無い所で、広場に壊・・・

敗戦前後の記憶-23

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敗戦前後の記憶-23 溝口 浩   焼け跡と闇市の東京-4   学校の先生が我々生徒に向かってこんなことを言っていた、「シャツなどはお母さんに煮てもらいなさい、そうすればシラミは死にます」、頭髪と衣服・・・

敗戦前後の記憶-22

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敗戦前後の記憶-22 溝口 浩   焼け跡と闇市の東京-3   碑文谷の家の庭には、父が山梨から持ち込んだぶどう酒が満杯の十八㍑入りの甕で十二個並んでいた。父はこれを楽しみにしたお客さんが来ると自慢げ・・・

敗戦前後の記憶-21

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敗戦前後の記憶-21 溝口 浩   焼け跡と闇市の東京-2   配給品の対象となっているのは統制品といわれて、特に米は米穀通帳なるものがあってこれが無ければ米は買えなかった。後に米も自由に買えるように・・・

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