夏探し

松みきの協会だより

ことば協会事務の佐藤です。   台風が行ったり来たりのこの頃ですが、 今日は文句なしの からっからの暑さです。     そんな中、 今日は朝から小4の息子と一緒に近所の公園へ。  ・・・

自分を「愛する」ということ

松みきの協会だより

こんにちは、ことば協会の佐藤です。 台風がまた近づいているせいか、ひんやりとしたお天気ですね。   今日のような日は幾分凌ぎやすいのですが、 大抵は暑くて「熱中症対策」に気をつけないといけない程です。 &nbs・・・

敗戦前後の記憶-26

さんぽ道

敗戦前後の記憶-26 溝口 浩 焼け跡と闇市の東京-7 二十一年の暮れに麻布十番の近くに転居した。これは後に芝三田功運町に家を建てるための仮住まいだったが、ここで転入した南山小学校には卒業まで通い続けることになる。仮住ま・・・

敗戦前後の記憶-25

さんぽ道

敗戦前後の記憶-25 溝口 浩   焼け跡と闇市の東京-6   刑部先生は隣の円融寺の境内に子供たちを連れ出して釈迦堂の縁に座らせ、いろんな話をしてくれた。   昔の話だがね、なんの苦しみも・・・

敗戦前後の記憶-24

さんぽ道

敗戦前後の記憶-24 溝口 浩   焼け跡と闇市の東京-5   田園調布の一つ先の駅にあった多摩川園へ行くことは最大の楽しみだった。ここは、ちょっとした遊園地だが何も無いといえば何も無い所で、広場に壊・・・

敗戦前後の記憶-23

さんぽ道

敗戦前後の記憶-23 溝口 浩   焼け跡と闇市の東京-4   学校の先生が我々生徒に向かってこんなことを言っていた、「シャツなどはお母さんに煮てもらいなさい、そうすればシラミは死にます」、頭髪と衣服・・・

敗戦前後の記憶-22

さんぽ道

敗戦前後の記憶-22 溝口 浩   焼け跡と闇市の東京-3   碑文谷の家の庭には、父が山梨から持ち込んだぶどう酒が満杯の十八㍑入りの甕で十二個並んでいた。父はこれを楽しみにしたお客さんが来ると自慢げ・・・

敗戦前後の記憶-21

さんぽ道

敗戦前後の記憶-21 溝口 浩   焼け跡と闇市の東京-2   配給品の対象となっているのは統制品といわれて、特に米は米穀通帳なるものがあってこれが無ければ米は買えなかった。後に米も自由に買えるように・・・

ページの先頭へ