戊辰の船橋戦争―15

溝口 浩

 

よみがえる奥羽越列藩同盟

ところで会津戦争の前に奥羽越列藩同盟が結成されたのですが、すぐに瓦解してしまいました。この同盟のの弱点は、東北が一枚岩ではなかったというところにあります。

もともと勤皇の藩だった久保田(秋田)藩は、列藩同盟に名を連ねたものの藩内で意見が分裂。薩摩の大山格之介の工作もあり、同盟締結からわずか2ヶ月で、仙台の使者を斬るという事件を起こして奥羽越列藩同盟を離脱しました。

秋田藩の離脱で庄内藩はその兵力を秋田戦線に注入、盛岡や仙台も秋田攻めに勢力を割かれたのです。越後口が手薄になったところで、今度は新発田藩が寝返り、次いで三春藩が離脱した。是非ではなく、それぞれの藩に事情があったのですが、その事情と武士道と面子が絡み合い、悩み、軍議は堂々巡り。8月に米沢藩が降伏、そして9月、仙台藩と会津藩が降伏して、ついに東北戦争は終結します。

その秋田への恨みが「秋田の変心」として仙台を中心とした東北地方に根強く残っているという話を評論家の佐高信(さたかまこと)さんが書いています。そしてその奥羽越列藩同盟が現代によみがえったというのが昨年の参議院選挙、長州の安倍首相を相手にして東北6県は野党が5勝1敗、裏切りの秋田だけが自民でした。

おわり