戊辰の船橋戦争―11

溝口 浩

船橋戦争の発端

江戸城の新政府への明け渡しと前将軍徳川慶喜の水戸藩預かり・蟄居が決定すると、これに不満を抱く旧幕府の将士の中には江戸を脱出する者が相次ぎました。榎本武揚は海軍を率いて館山に入り、大鳥圭介は陸軍を率いて市川に入り、福田道直はフランス式歩兵隊である撒兵隊(さっぺいたい)を率いて木更津に入りました。

江戸城開城の翌日に撒兵隊2,000を率いて木更津に着いた福田道直は、大鳥圭介が市川の国府台にいるとの報を受けて市川の増援のためにまず江原鋳三郎の第1大隊に兵300を与えて中山法華経寺に派遣し、続いて第2大隊・第3大隊の兵600を船橋大神宮に派遣してここを撒兵隊の本営としました。ところが、現地に着いてみると幕府軍は全く存在していなかったのです。これは5月3日に新撰組副長であった土方歳三が大鳥と合流し、流山で局長近藤勇が新政府軍に捕らえられた事を知った大鳥が市川滞在に危惧を抱き、日光山で会津藩と連携して新政府軍に抵抗する作戦に変更して、全軍市川から離れて北に向かっていたのです。

…つづく