戊辰の船橋戦争―9

溝口 浩

慶喜の恭順

恭順派として旧幕府の全権を委任された陸軍総裁の勝海舟は、幕臣・山岡鉄舟を東征大総督府参謀の西郷隆盛に使者として差し向け会談、西郷より降伏条件として、徳川慶喜の備前預け、武器・軍艦の引渡しを伝えられました。西郷は4月5日、高輪の薩摩藩邸に入り、同日から勝と西郷の間で江戸開城の交渉が行われました。翌日4月6日、高輪の薩摩藩邸で勝は ①慶喜は隠居の上、水戸にて謹慎すること、②江戸城は明け渡しの後、即日田安家に預けること等の旧幕府としての要求事項を伝え、西郷は総督府にて検討するとして7日の総攻撃は中止となりました。結果、4月26日 に勅使が江戸城に入り、「慶喜は水戸にて謹慎すること」「江戸城は尾張家に預けること」等とした条件を勅諚として伝え、江戸城は無血開城され、城は尾張藩、武器は肥後藩の監督下に置かれることになり、同日、慶喜が水戸へ向けて出発したのです。こうして江戸幕府は二百五十年の幕を下ろしたのですが、これに納得出来ない幕臣たちの行動を追います。

…つづく