戊辰の船橋戦争―8

溝口 浩

慶喜の江戸退却

閑話休題、この時点では未だに総兵力で旧幕府軍が上回っていたのですが、1月30日夜、慶喜は自軍を捨てて大坂城から少数の側近を連れ海路で江戸へ退却しました。慶喜の退却により旧幕府軍は戦争目的を喪失し、各藩は戦いを停止して兵を帰し、また戦力の一部は江戸方面へと撤退しました。

31日、慶喜追討令が出され、2月1日には藩主が慶喜の共犯者とみなされた会津藩・桑名藩・高松藩・備中松山藩・伊予松山藩・大多喜藩の官位剥奪と京屋敷を没収されその後も藩兵が幕府軍に参加した疑いの高い藩を朝敵に指名しました。

江戸城無血開城

駿府に進軍した新政府は3月29日の軍議で江戸城総攻撃を4月7日としました。しかし条約諸国は戦乱が貿易に悪影響となることを恐れ、イギリス公使ハリー・パークスは新政府に江戸攻撃・中止を求めました。新政府の維持には諸外国との良好な関係が必要だったし、また武力を用いた関東の平定には躊躇する意見もあったので、江戸総攻撃は中止とする命令が周知されました。

…つづく