戊辰の船橋戦争―7

溝口 浩

新徴組-3

新徴組の扱いに困った幕府は彼らを庄内藩酒井家に預けることにしました。酒井家は、徳川四天王の一人として数えられた酒井忠次を祖にする名家であり、幕府の信任が非常に厚かったからだろうと思われます。

新徴組が庄内藩の預かりとなった当時、組士は総勢で169名もいたのですが、当初は彼らにこれと言った仕事もなく、給金なども少なかったため、組から脱走する者や、中には江戸の商家に押し入り、金品などを強奪する者も生じたりしたため、新徴組の存在自体が危ういものになっていきます。

しかし、文久3年江戸の治安悪化を憂慮した幕府が、庄内藩ら十三藩に対し、江戸市中警護の命令を下すと状況が一変し、新徴組は再び歴史の表舞台に登場することになるのです。

庄内藩は江戸市中警護の主力として、新徴組をその任務にあてることにしました。東北育ちの庄内藩士よりも、関東近辺で募集された浪士組を前身にもつ新徴組の方が、江戸の地理などにも詳しく、その任に最適だと考えたからです。

この庄内藩新徴組の江戸市中警護が非常によく行き届いたものであったので、 新選組が京で名を上げている頃、同じく新徴組もまた江戸でその名を上げていたのです。

…つづく