戊辰の船橋戦争―5

溝口 浩

新徴組(しんちょうぐみ)

新徴組という聞きなれない組織がでて来ましたのでふれておきます。文久3年(1863)年1月、幕府によって募集された浪士組は、出羽庄内の志士・清河八郎が考案したもので、表向きは将軍上洛のための警護兵としての役目を背負うものだったのですが、清河の本心は幕府の力を使って結成した浪士組を尊皇攘夷を目的とする反幕勢力に変化させようという策略を持っていたのです。

江戸で集まった浪士組は総勢234名でしたが、彼らが京に到着すると、清河は壬生にある新徳寺に浪士達の代表を集め、その秘めたる策略を演説して、それに同意を求めました。この清河の独断行動に反感を持ったのが、近藤勇や芹沢鴨といった24名の人達で、彼らは清河と袂を分かち、後にこの集団が「新選組」となるのです。

…つづく