戊辰の船橋戦争―3

溝口 浩

討幕の難航

しかし、予定された正式な諸侯会議の開催が難航するうちに、雄藩5藩(薩摩藩、越前藩、尾張藩、土佐藩、安芸藩)はクーデターを起こして朝廷を掌握、王政復古の大号令により幕府廃止と新体制樹立を宣言しました。新体制による朝議では、薩摩藩の主導により慶喜に対し内大臣職辞職と幕府領地の朝廷への返納を決定し(辞官納地)、禁門の変以来京都を追われていた長州藩の復権を認めました。

慶喜は各国公使に対し王政復古を非難、条約の履行や各国との交際は自分の任であると宣言しました。また新政府内においても山内容堂(土佐藩)・松平慶永・よしなが(越前藩)ら公議政体派が盛り返し、徳川側への一方的な領地返上は撤回され(新政府の財源のため、諸侯一般に経費を課す名目に改められた)、年末には慶喜が再上洛のうえ議定へ就任することが確定するなど、辞官納地は事実上骨抜きにされつつあったのです。

…つづく